
今、M男さんのBlogにたまたま辿り着いた。
短いながらも文章から、とても共感できる言葉が書かれていたので思わずコメントを残してしまった。
その方は、【主が最初で最後】・・・と書かれていた。
先日私も同じようなことを話していたので、とても心に響く言葉だった。
私がMなのかもしれないと実感したのは今から12年程前。
可愛がってもらっていた男性とのセックスの時、背中一面噛まれ叩かれたことがきっかけだった。
その時、SMと言うことすら知らなかった。
あれから10年ほど経った今から数年前、SMと言う言葉を耳で目で知り興味を持ち始めた。
なぜなら、あの時の背中一面の痣と傷は虐待とも言える痕であったにも関わらず悦びを感じたから。
叩かれることで満足するんじゃないか。
身体の痣で悦びを得られるんじゃないか。
そんな風に感じた。
そして実際に行為をしたのが、今からちょうど1年前。
縛られ自由にならない身体に鞭で打たれた。
はじめての行為だったため、今思うとかなり加減して下さっていたように今思う。
しかしとても感じた。
それから、私は叩かれることを強く望んだ。
12年程前の時と求めるもの・感じるものが同じだった。
叩かれて痛いこと・打たれた痣や痕・・・これなんだ!と思った。
緊縛され身動き出来なくなることも好き。
蝋燭の熱い蝋が身体に垂らされるのも好き。
首を絞められ顔が真っ赤になって一瞬息が止まりそうな恐怖感も好き。
アナルに手を入れられグイグイと押される窮屈感も好き。
だけど、やはり叩かれることには勝らない。
素手だろうが鞭だろうが、叩くことって単純なことにも感じる。
しかし叩く側も楽ではない行為なのだろう。
昔、小学生の頃に悪さして先生に顔を思い切り叩かれた時、先生は言った。
痛いのはお前だけじゃないんだ!
叩く先生の手だって痛いんだ!
と・・・
素手で叩くのはそりゃ叩くほうだって痛いはず。
鞭を思い切りふるのだって腕に力を入れるわけだからそれなりの負担はあるはず。
分かってる。
相手にも痛い思いをさせてること。
今の主、思い切り私を叩いてくれる。
だからじゃない・・・
この人だって思えたのは。
叩くだけなら誰でも叩ける。
それだけじゃないのは言うまでもない。
感じるものとか・・・
言葉とか・・・
想いとか・・・
考え方とか・・・
接し方とか・・・
日常の時間とか・・・
そんな色々なことを短いながらに感じてみて、この人が最後の人だと私は思った。
先日、主に言った。
別れたら、私はSMから去ると・・・
SMと言っても、日が浅く何も分かっていない私だけど。
SMとも言える行為は、きっと今の主で最後になるような気がした。
もちろんその場を迎えなければわからない。
根本的にM性があるのなら、違う形で痛みを求めるのかもしれないし。
また新しい主を求めるのかもしれないし。
先のことなどわからない。
ただ、今・・・
自分にとって、この人以上の相手には出逢えないと思えたこと。
それは紛れも無い事実である。
【画像】・・・記事と関係のないなぜか肛門。
・・・蘭・・・



































